コラム -トキソプラズマ原虫の病原遺伝子をねこそぎ同定する次世代技術「生体内CRISPR スクリーニング法」を開発-

寄生虫から私たちの生命現象をよみとく?

トキソプラズマ原虫は世界人口の3分の1が感染していると言われている寄生虫で、日本でも毎年感染者が報告されています。健康な人ではほとんど症状があらわれませんが、新生児や、エイズなどの病気によって免疫機能が低下している人では重篤な症状をひきおこし、死に至ることもあります(トキソプラズマ症・原虫について詳細はこちら)。
今回は、8000以上もあるトキソプラズマ原虫の遺伝子から、病気の発症に関連する遺伝子だけを網羅的にかつ効率よく同定する画期的な手法「生体内CRISPRスクリーニング法」を開発、さらに同定された病原遺伝子について、病気を起こすメカニズムとの関係を明らかにした研究成果です。
研究成果の詳細はこちらのページに記載していますので、ここでは、中心的に研究をすすめた橘優汰さん(医・博士課程大学院生)に、研究を始めた経緯、進める上での面白さや苦労を伺いました。

CRISPR-Cas9(※1)技術は、ゲノム編集技術の中で現在最も多く使われている手法ですね。この技術を活用したCRISPRスクリーニング(※2)もゲノムワイドに目的の遺伝子を網羅的に同定できる技術として注目されています。このCRISPRスクリーニングをトキソプラズマ原虫で行ったのはこの論文が世界で初めて、ということでしょうか?

:いえ、トキソプラズマでCRISPRスクリーニングを用いた論文は2016年に米国の研究者が発表したのが最初です(論文はこちら)。むしろ、その論文を読んだことがきっかけで私自身が病原体のサイエンスに足を踏み入れることになりました。
学部生の頃はCellなどの主要誌はほぼ毎号目を通していました。当時は真面目だったのですね(笑)。私はもともと免疫学に興味がありましたが、その免疫系を巧みに攻略して病気を引き起こす病原体という存在も興味深いと思っていました。そんなときに当時の最先端技術であるCRISPRスクリーニングを行なってトキソプラズマでゲノムワイドな解析をしているCellの論文に出会い、衝撃を受けたのを今でも覚えています。
トキソプラズマが持つ遺伝子については、主に病原性発揮への役割やメカニズムについて、これまでに数多くの研究がなされてきました。しかし、トキソプラズマは8000以上もの遺伝子を持っていて、しかも多くの遺伝子は病原体固有で我々ヒトには存在しないので解析の手がかりは限られています。遺伝子を一つ一つノックアウトして解析していたのでは途方もない時間とコストがかかり現実的ではありません。一方、CRISPRスクリーニングを用いれば、病気の発症や重症化など、特定の現象に関係する遺伝子だけを一度にまとめて検出することができます。このスクリーニング法をトキソプラズマに導入していた先程の論文を読んで、日本でもこの革新的技術を導入しなければどんどん世界に立ち遅れていくと危機感を抱き、ぜひ自分自身での手で挑戦してみたいと思ったのです。

先行研究が今回の研究のアイディアの元になっているのですね。元の論文にはない、今回の研究ならではのウリはありますか?

:もとの論文は培養細胞(in vitro)でスクリーニングしているのですが、病原体のことは実際の生体に感染させてみないとわからないことが多くあります。私たちは細胞ではなく生体(in vivo)、つまりマウスで、特に宿主遺伝学におけるスタンダードであるC57BL/6(通称B6)という系統のマウスを用いて行っているのが最大の特徴です。免疫学の研究では遺伝子組み換えマウスを用いた解析系が確立されていますが、遺伝子組み換えマウスの多くはB6マウスで作製されています。そのため、今回開発したB6マウスを用いたスクリーニング系は病原体だけでなく、宿主の免疫系との相互作用も解析可能にしました。実際、この研究ではトキソプラズマに対する免疫系で最も重要な因子の一つであるインターフェロンγを欠損した遺伝子改変マウスを用いて解析を行いました。その結果、インターフェロンγによって誘導される免疫応答を抑制する病原性遺伝子を見つけることに成功しました。例えば、この遺伝子を阻害するような薬剤や方法を開発すれば、私たちの免疫応答が抑制されることなく病原体を排除して、病気の発症や重症化を抑えることができる可能性があります。

先行論文が出ていたとはいえ、トキソプラズマ原虫ではまだまだ浸透していなかった技術、しかも生体を用いた実験となると、かなり苦労されたのではないでしょうか。

:それはもう大変でした。失敗の連続ばかりで全くデータが出ない日々が続きました。その頃はもう研究を辞めて地元に帰ろうと思っていましたね。遺伝子のノックアウト法を活用した実験系ですが、自分がノックアウトされそうでした(笑)。しかし、指導教官である山本雅裕教授から助言や激励をいただいて、なんとか諦めずに食らいつくことができました。自分自身でデータ解析を行う中で、スクリーニングが成功していることがわかったときは思わずパソコンの前でガッツポーズをしたのを覚えています。

この分野では非常にホットな技術だけに世界との激しい競争にも巻き込まれました。今回のスクリーニングで我々はGRA72という新規の病原性遺伝子を同定しました。このGRA72は病原性に必須で、欠損させると非常に特徴的な表現型を示すことから論文の中で詳細に解析しています。このGRA72は現在注目を集めている遺伝子で、我々を含めて3つの研究グループがほぼ同時に論文を発表しました。最終的に3グループとも同様の結論を導いていたので安心しましたが。

ゼロから立ち上げたスクリーニング系で発見した遺伝子が、海外の複数のトップ研究者も着目するような重要な働きをする遺伝子だったということで、この手法は王道として今後も世界に通用すると感じました。 

今回の手法を用いて、他にも機能不明の新規遺伝子が多く発見されました。たくさん見つかっただけにこれからの解析が大変ですね。

:大変ですが、世界でも我々にしかできないことです。だからこそ、やりたいと思います。私は医学部を卒業し医師免許を取得しましたが、臨床ではなく基礎研究の道を選びました。まだ誰も知らない遺伝子を見つけたり、機能を明らかにしたり、教科書にも書いていない新しいことにチャレンジして解明していくのが基礎研究です。自分の仮説をトライ・アンド・エラーを繰り返しながら証明していく作業はときに大変なこともありますが創造的でとても楽しいです。トキソプラズマは自由自在に遺伝子操作が可能なので、自分の頭の中にあるアイディアを実現する研究対象としても非常に理想的です。

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これまで知られていなかった病原遺伝子の機能や、それらの病原遺伝子に対する私たちの免疫応答など、さらに新しい事実が明らかになりそうです。今後の研究の発展が楽しみです。
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※1 CRISPR-Cas9
ゲノムDNAを切断し、遺伝子情報を自由に書き換えることができる技術。現在は臨床応用も進み治療にも役立てられている。元々は細菌や古細菌の生体防御システムであった。2020年にノーベル化学賞を受賞。
 
※2 CRISPRスクリーニング
CRISPR-Cas9による遺伝子ノックアウトをゲノムスケールで行い、薬剤耐性など目的に応じた処理によるスクリーニングを行うことで特定の表現型に関連する遺伝子を包括的に検出する方法。培養細胞を用いて行うことが多いが、今回の研究成果ではCRISPRスクリーニング法を生体(マウス)に応用することで、病原体が宿主の体内で生存するのに必要な遺伝子の探索を可能にしている。

インタビュー:2023.9月

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